河合
今後ゲームがどうなっていくか、予測は難しいのですが、
一つはハードやグラフィックがいかに進化しても、
必ずクラシックな、シンプルなゲームは残ると思います。
もう一つは、質的に違った遊びに変化していくのはあるでしょうね。
強化現実感技術と融合して、新しい遊びのスタイルを形成していくような。
その時の、リアルとバーチャルという境界のあり方は興味深いですね。
今、処方箋プロジェクトの仕上げとして僕が取り組んでいるのが、
立体視(3D)を使ったゲームのプレー体験の評価です。
香山
クローズドなゲームのリアリティが増しても、
意外に影響は少ないんじゃないかと思うんです。
『アバター』みたいなのまで行っちゃうと、
もう恐れ入って見てるしかないというか。
むしろ自分の想像力を仮託しないと完成しない世界の方が、
人に与える影響は大きい。たとえば、ボードゲームの
『ダンジョンズ&ドラゴンズ』にハマッて、
本当に旅立ってしまうとか、
いなくなってしまう人がたくさん出たというのは、
よくわかるんですね。
私が今まで一番夢中だったゲームは、
MSXの初期のロールプレイングゲームで、
爆弾をしかけて、
いったんスクロールアウトして戻ると爆発して敵がなくなっている。
グラフィック機能が劣っているから、
爆発場面は描けなくて出てこないんです。
今爆発してるだろうと想像するしかないんだけど、
それを守るためにはなんでもしようという気持ちだった。
まあ若かったというのもあるんですけど。
渡邊
個人的には一人でゲームをやる経験っていいものなんですよ。
小さな引きこもりみたいなもので、
自分は癒されたとは全然思ってないんですけど、
たぶん助けられたこともたくさんあったような気がする。
それを経験しないでネットゲームから入って、
一人でやるゲームに戻れるかというと、戻れないかもしれない。
それはもったいない。僕にとっては、後ろめたさは快感だったので。
香山
iPhoneみたいな、電話だかゲーム機だか
パソコンなのかわからないものは出てくるし、
ツイッターはチャットなのかゲームなのか、
やる人によっても感覚が違う。
どんどん先に出てくるから……。
河合
ライフスタイルに近づいていますからね。
渡邊
ゲームの研究というのはメインストリームではないからこそ楽しい。
つかみ所がないだけに、目に見える成果を出すのは難しいですけど、
ずっと考え続けていくということが重要な気がしています。
個人的な願望としては、
自分が小学生や中学生の頃にやったゲームの楽しさを
もう一度感じさせてくれるゲームが出てほしい。
それはノスタルジーにすぎないのか、
もう最初のわくわく感を感じることはできないのか、
それを知りたいというのがプロジェクトをやってる一つの理由でもある。
香山
ゲームが飽和状態という話がありますが、
それは進行方向が一直線で、テクノロジーとリンクした宿命でしょう。
今後は、ただ進化するんじゃなくて、時には戻るとか、
一直線ではない、枝分かれするような方向にいってほしいなと。
そうすればモニターの中にはまだ現実と違う世界があって、現実にはできない体験ができる。
ゲームにはいろんな可能性があると思います。
渡邊
ゲーム的なものが浸透していくようなイメージがありますね。
電話すらゲームっぽくなっている。
ゲームで用いられるインタラクションのエッセンスが、
いろんなところでインタフェイスに使われているように感じます。
そういう意味でもゲームとはどういうものなのか、
メカニズムや物語性、ユーザーエクスペリエンスなどについて、もう一度よく考える必要があると思います。
人間の遊びがテクノロジーと結びついて、常に進化していく最先端にゲームがある。
3Dをはじめメディアの変化が活発な現在、
ゲームがどんな方向に向かうのか、
引き続き研究していきたいと思っています。